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最近の世界情勢を見るにつけ、きな臭い硝煙の匂いがするように感じます。特にイスラエルとイランの対立、ロシアとウクライナの泥沼の戦い、パキスタンのスンニ派とシーア派の宗教絡みのテロ。北朝鮮によるミサイル発射、北朝鮮兵士のロシア派遣、プーチン大統領による戦術、核の使用をほのめかす威し等々数え上げればきりが無い程です。

このような中、アメリカ大統領選が行われ、ドナルド・トランプ氏が次期大統領に選ばれました。このことを我々は、日本のTV及び新聞、インターネットの情報により知り、判断しています。私のトランプ氏評ですが、彼は現在78才で同年代であり、今の日本社会では後継者が懸念される後期高齢者です。車の運転もそろそろ覚束ない年代です。この同年代のトランプ氏がアメリカの、いや世界の指導者となって、これからの4年間の指揮を執るのです。同年代ということで励みになると同時に、大丈夫かなと言う危惧を抱いています。アメリカにはもっと若手で有能な人材はいないのか、いや、仮にいたとしてもアメリカ国民が支持しないのか、です。

私は40年程前と5年程前に2度、ニューヨークのトランプタワーを見に行きました。同年代の不動産業という同業者のトランプ氏がニューヨークのマンハッタン地区で、すごいビルを建てたという事で、興味津々でした。当時の彼は、大統領への野望など殆どないと思える程、不動産王として君臨していました。そのトランプタワーの内外装の豪華絢爛で素晴らしかったこと。58階建ての超高層ビル、宝石のティファニー店の隣地。1階はレストランパブで2階から上は有名店舗がゆるやかなスロープに沿って並び、最上階までエレベーター、エスカレーターで上がり、ゆっくりとショッピングしながら下りられる設計です。客層も上流階級が多いようです。そのうえ、5階あたりから吹き抜けになっていて、淡いベージュ色のイタリア大理石で造った所に滝があり、水がとうとうと流れているのです。まるでアメリカ中のお金持ちが皆集まっているようでした。そして、宇宙ロケットのようなボナベンチャーホテルに宿泊したのです。アメリカの繁栄、賑わいを見て、「日本はとてもかなわないなぁ」と言う感慨を抱いたものです。

しかし、2度目に行った時には、1階のレストランパブのみ営業しており、2階から上はガラガラでした。元大統領のタワービルということで、アメリカ兵が機関銃を持って、ビルに入る際に厳重なセキュリティーチェックをしていました。そのレストランでコーヒーを飲んできました。なんという差だろうとつくづく思ったものです。

アメリカは日本の約26倍の国土を持ち、資源は豊富で、人口は約2.7倍です。日本を戦争で打ち負かした国であり、世界の指導国の一つであり、とても裕福で強い国というイメージでした。しかしトランプ氏の再登場によって、どうもアメリカは昔の裕福なゆとりあるアメリカではないのではないか、本当は少数の富裕層と大多数の貧困層で成り立っている国ではないかと思うようになってきました。

太平洋戦争(1941年~1945年)後の子ども達が、ギブミーチョコとジープに乗ったアメリカの進駐軍兵士にねだった頃の強い国アメリカではなくなっているのではないか?アメリカ国民は王者の風格を持って世界に誇ったアメリカではなくなったのではないか?世界をリードするのではなく、自分の国を守る為に窮々とするアメリカになってしまったのではないか?だから、現実的、排他的な人が選ばれるようになったのではないか?

アメリカ国民の心が、世界をリードするのではなく、自国のことのみを優先する第5代アメリカ大統領ジェームス・モンローの演説したモンロー主義に戻ってしまったのかもしれません。軍事力が突出し、一部の富裕層と大多数の貧困層の国。もう豊かとは言えない国になったのではないかと思わせる大統領選でした。

私たちは今までの認識を改めなければならないでしょう。おおらかな国のアメリカではなく、ぎすぎすとゆとりのないアメリカという大国と我々日本人は付き合っていかねばならないのかもしれません。

ラブ小松

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

2024.12.5 | 10:28

私たちの仕事、労働の質が変わってきていると最近つくづく感じます。それは何かというと、利益を追求する、その仕事一つ一つで利益を上げるという使命感、利益を上げないと企業がやっていけない、個人もやっていけないという必然性があります。この利益というのは実にくせ者です。利益を出すためには効率が必要だと思われいて、効率は時間をかけない、極力早く仕上げることを追求します。そして原価をより安くすることが求められます。この早く、安くの追求は、仕事、労働の形態を変えつつあります。まず、早く製品を仕上げるために流れ作業化します。あらゆる仕事、労働が細分化、単純化されます。これは人間を機械の一部として使い、より早く製品を仕上げるという流れになっており、車の製造過程を見れば一目瞭然です。その上、労働時間8時間という社会の規約?は人間の労働を貶めているとしか考えられないのです。そして機械にはミスがないということで、ロボット化、機械化が進められています。ミスをするのは人間だけということになると、人力を極力省こうとする動きが体制化しています。人間はミスをする動物です。しかしそのミスを無くすために努力する動物なのです。それは、この複雑な交通社会で事故が絶えない事実を冷静に見ればわかります。いかに交通違反金を高くしても防げないのです。飲酒運転も然りで、自分を律することすらできないのです。飲酒自体はミスではないですが、酔うことによってミスを犯し易い状態に陥ることを自分で律しないといけないのです。人間はそのように弱い動物なのです。

今から65年前の中学時代の恩師が、「君たちは幸せだ。それは大量生産によって物が溢れ、安く買える時代が来る。」と言っていました。確かにそんな時代がやってきました。物は溢れ、江戸時代のお殿様よりも贅沢な生活を送っています。しかし私たちは幸せを感じているのでしょうか?生活を楽しんでいるのでしょうか?一日、24時間のうち睡眠に8時間、仕事に8時間、残りの8時間は余暇?という時間の配分です。ここで問題となるのは、一日の三割を占める労働時間です。この三割の労働の質が、流れ作業等の単純作業でいいのでしょうか。達成感はあるのでしょうか?生きがいがもてるのでしょうか?あればそれでいいのです。生きがいがないと、それは地獄に変わり、余暇(残り8時間)に生きがいを見い出さねばならない生活になってしまいます。

私は次の言葉が大嫌いです。それは「時間を潰す」という言葉です。暇だから〇○○○で時間を潰す、暇だから趣味に生きる、ならいいのですが、趣味に生きがいを見い出している人はまだまだ少ないようです。私たちの時間は限られています。人生100年時代といわれる中で、自分の生きがいを持つ時間を過ごすことは、とても大切なことではないでしょうか。時間は潰してはいけないのです。いかに有意義に時間を使うか、それは仕事、労働の質にかかっているのではないでしょうか?仕事が楽しみならば人生は極楽で、仕事が苦しみならば人生は地獄です。

今、無職の人が増えているように思えます。犯罪者の職歴を見ると、無職の割合が高いようです。無職の人が、収入がなく、することがないので、罪を犯すのでしょうか?それはやはり人生を楽しんでいないからではないでしょうか。仕事が生きがいの人は人生を楽しんでいて、元気があるように思えます。自ら考え、能動的に仕事に取り組むことこそが、人生を楽しむ極意なのかもしれません。そういう意味で私は不動産の仕事は天職と思い、世の中に貢献していけたら良いなと思っています。

人生円熟、生涯現役、これから、これから!

ラブ小松

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

前回は異常気象の原因についてでした。

段々と我々の住む環境が汚染され、ものすごい気候変動が起こり、温暖化による雨の量が異常に多くなり、線状降水帯が発生し異常量の雨が集中的に降り、洪水が各地で多発しております。自分の経験から今までは危険でなかったものが、あっという間の増水で逃げ遅れて被害を受けられる人が多くなっております。今回の能登の豪雨は気象庁も突然の雨で逃げ遅れないように早めに避難所へ避難するようしきりに警告を発していましたが、オオカミ少年の話があるように何回も警告が発せられている為に素直に聞いた人は助かり、聞けなかった人が水害にあったというのです。

50年程前は、何日も雨が降り続き冬に大雪が降った年が水害に遭ったもので、私自身が予知できる具合でした。

しかし、今の水害は予想をはるかに超えて急速で量が多いためすぐに大被害に及びます。

また台風も異常に大型になり被害も甚大なものになってきています。そのうえ沖縄から九州、四国、中国地方を経由し、ほとんどの雨は沖縄や九州で降ったあとで、本州に来たときは湿気を持たない台風が多くなっています。また白山が最小限に抑えて守ってくれます。しかし近年は私の経験ではない直接中国地方に上陸し、長く日本全土に停滞し雨を降らせ続け各地で洪水の被害が多発しました。9月にあった台風は石川県を直撃するコースでしたが、長く九州地方に停滞したうえ、温帯低気圧となり石川県の被害は最小限ですみました。

このように年々災害は急激に激甚となり、大型化しているように感じます。このことは私たち人間の営みが環境を破壊している結果です。毎日我々が普通に生活している結果で、環境を破壊しているとしたら事は重大です。現在、地球の温暖化は急速に進んでいます。車を乗り回し冷暖房をガンガンにかけ、食物はスーパーへ行けば溢れ、私たちは昔の殿様以上の生活を楽しんでいます。山海の珍味を味わい、車に乗ってガソリン化石燃料を撒き散らして、温暖化を促進しているのです。かく言う私も、そんな生活に慣れ親しんでいるのです。それが一般的な日本人の生活なのです。生活自体が温暖化を促進し、環境汚染を拡大し、この地球を汚染して、その上この気候変動を起こさせているとしたら、この地球は大丈夫なのでしょうか?私たちの普通と思われる生活が我々の手により生活を脅かせているのです。

私たちの住む地球は、大昔は炭酸ガスに覆われていたそうです。その時の地球の気候は大荒れで大風が吹きすさび、雨が降り狂う世界であったのです。それが樹木等のおかげで、炭酸ガス濃度が減り、人間がようやく住める環境となったのです。私たちは生活する為に樹木を切り、農地を作り、都市を作っていってます。その農地は農薬で汚染され蓄積し土地を破壊しています。また都市は大型化し、東京では一千万人以上の人口が集中し、人間が住めない環境になってきています。

今年の夏に東京へ行った時も、気温は36度~39度、外気はエアコンの排気で蒸し風呂状態で人間の住むところでなく、建物内はエアコンがなくては住めない状況でした。しかしその生活が常態化して、環境を破壊している意識は誰にもないようです。

「暑いね」「異常な気候だね」と言い合うばかりで、この異常な状況は我々の生活から出ている反省の弁は誰の口からも出てこない事に違和感を覚えました。

今後人間が今の生活を継続するならば、また経済成長を続けるならば、私たちは私たちの子や孫の世代に重大な過失を押し付けることになります。遅かれ早かれ遠くない近い未来に、人間は地球に住めなくなるのではないかと心配です。

ラブ小松 不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

連日暑い日が続いています。東京で39度、小松で37度と、連日30度超えの日が続いています。人間は自分の体温を超えると不快感を増すそうですが、体感の暑さはひどく、熱中症危険のためエアコンから離れられない日々が続いています。私の幼い頃の夏と言えば、暑い日で28度ほど、年に2、3日30度超の日がある位でした。夏は野球、魚釣りと毎日真っ黒に日焼けして、ランニングシャツの跡がくっきりするほど焼けた肌を自慢したものです。当時の太陽は、今のように肌にジリジリするような感じではなく、ヒリヒリするような感じで、海水浴に行き肌を焼くと、背中の皮が剥けたものです。しかし今は海水浴に行く人も少なく、学校のグラウンドで遊ぶ姿も見られません。

これはいつ頃からでしょうか?20~30年前頃から、オゾン層の破壊による温暖化が進んだ結果、太陽の紫外線が強くなり人間の肌を痛めるようになってきました。それは人間が生み出したフロンガスがオゾン層を破壊した結果であると言われていますが、最近あまり喧しく言われないようになっているようです。紫外線は生物を破壊するため、地球上に生物は存在しなかったのですが、数億年かけてオゾン層ができ、紫外線が遮断されるようになってようやく生物が住める環境になりました。そして紫外線の弱い海中にしか住めなかった生物が、段々と陸上に住むようになったのです。しかし、まだ大気中の炭酸ガスの濃度が高い為、地球の温度は高く、天候は荒れ、暴風が吹き荒れていました。しかし植物の光合成により酸素濃度が高くなり、生物が住めるようになっていったのです。さらに炭酸ガスが石灰化し、大気中の酸素、炭素ガス、窒素濃度のバランスがとれ、現在の地球となりました。それが近年の工業の発展により、化石燃料を燃やし、車を走らす等人間の生活のレベルアップのため、文明化すればする程炭酸ガスを排出し、農業の機械化により人口がどんどん増え続け、炭酸ガスを排出し続けています。ほんの100年程前までは自然の治癒力によって地球は元に戻っていたのですが、いつかその自然治癒力を超えて人間が消費するようになり自然を破壊しだした結果が、この異常な暑さであり、台風の勢力の拡大であり、雨の異常な降り方であり、どんどん災害が大きくなっています。そして環境破壊は年々進んでおり、他の生物にも影響を与え始めています。私たちが贅沢な生活をすればする程、環境は破壊され、その速度は年々増してきているのです。人間はこの暑さには危機感を持っているのですが、その原因が自分たちにあるということを忘れています。暑いのが嫌なら、大雨が嫌なら、日焼けが嫌なら、その原因たる生活を慎まなければなりません。明日から贅沢をやめれば即解決するというものではありませんが。人間が長い年月をかけて破壊してきた自然を、自然治癒できる段階まで戻さなければなりません。それには破壊し続けた年月以上の年月が必要と思われます。その為に私たちの生活を輪廻転生のサイクルに乗せなければなりません。炭酸ガスを排出した量を回収するか、何かで酸素に転換しなければなりません。少しでも炭酸ガスが余るようになると、それは長い年月をかけて自然破壊につながります。そう思うと、日本が鎖国をしていた江戸時代は、外国からの支給がほとんどなく、日本国内で全てをまかなっていたのです。ほんの200年程前です。それが今では食料自給率が40%を切る国になったのです。

私たちはこれからどうすればいいのでしょうか?石油は将来高騰して売ってもらえなくなります。食料は不足し、お金があっても売ってもらえなくなります。そんな時代が間近にせまっています。さあこれからどうしましょう。皆で考えて知恵を出していかねばなりません。

ラブ小松

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

日本人は老いるということを恐れ過ぎていないだろうか?段々と体は弱り、腰や膝が痛くなって歩けなくなり、意識が薄れ、無くなってしまうのです。それを子どもたちに迷惑をかけたくないとか、お金を負担させたくないとか。

老いることについて知ろうとせず、目を覆ってしまうのかもしれません。しかし老いは誰にでも訪れます。財産を子ども達のために残そうとか、葬式代の負担はかけたくないとか、自分の老後の為にお金を残そうとか。計算では老後の資金は2,000万円ぐらい必要だと言われています。残された子どもに迷惑をかけたくないという思いは、今のお年寄りに常にあるのはないでしょうか。しかし人間という者、生きとし生けるものは常に老化し死んでいく運命にあるのです。

老化とは、今まで何気なく出来ていたことが出来なくなる、自分で考え行動することが億劫になる、やる気がなくなる、歩けなくなる、その他色々な変化が現れるのです。そして生命の衰え、力の衰えが如実に現れてくるのです。この衰えに悲哀を感じだすのが老化の始まりなのです。200年以上生きた人はいません。常に老化し、死へ近づいていくのです。しかし私たち人間は違う方向に努力しようとします。

それは、少しでも若く、元気に見せようとする努力です。その努力は認めますが、それが行き過ぎているのではないかと思われる節が見受けられます。それはサプリメントの多用です。世の中にはあらゆるサプリメントがあります。シワ、シミを取る塗り薬・飲み薬、肌が若返るクリーム・石鹸、その他膝・腰痛を改善するプロテイン等数え上げればきりがありません。まさにTVショッピングで喧しい、喧しいこと大変です。元気で歩けるお年寄りを探してきて、その効果を宣伝することおびただしい限りです。そこにお金の為に出ているのか、昔の女優や昔の男優が、次から次へと出演して私たちの夢をぶち壊しています。その商品の効果がなかったらどうするのでしょう。誰が責任を取るのでしょう。その商品を宣伝している人達は責任を取るべきなのです。昔の有名な歌手がサプリメントの宣伝に出演していたのですが、脳梗塞になって以来その宣伝に出ていません。その歌手のことは嫌いではなかったのですが、その宣伝に出るようになってから嫌いになりました。まだ宣伝に出演してお金が欲しいのか?と思いましたが、そんな芸能人がたくさんいます。もっと私たちの夢を壊さず、上手に老いられないものか?人間の成長度合いの程度が低すぎて嫌になります。男前でなくなった男優、綺麗さが無くなった女優、声が出なくなった歌手等々、色々な方がTVショッピングを賑わせています。これもうまく老いられぬ、人は老いるものだという人生観から外れている方達ではないかと思うと情けなくなります。

日本人はいつから老人を馬鹿にする民族に成り下がったのでしょう。お年寄りを軽蔑する、馬鹿にする芸が横行しています。ある漫談なんか聞いていられません。それを日本の若者や大人たちは面白がっているのです。それもいつかは自分もそうなるのにです。数年後の自分なのです。

社会に対して大きな貢献をしてきた老人をもっと尊敬する社会にしなければなりません。お金ではないのです。ゆとりある生活、ゆとりある受容力を持った人生を築くべきなのです。無駄を削り取る生活、合理的な生活、あげくは老人、年寄りを無駄として捨て去る社会となっていくのではと心配になります。なんと寂しい社会なのでしょう。そんな社会でいいのでしょうか?そんな社会を目指しているのでしょうか?いたのでしょうか?私はそうではないと信じたい。若者は老人を大切にし、尊敬し、老人の知恵を生かし共に暮らせる世の中になったらとてもいいなと常々思います。その為に人間は自分自身の人生観を持って、自分の人生を築き、自分らしく老いなければならないと思います。世の中で決められた定年で引退するのは早い。引退はない?常に我々は現役なのです。その気構えこそが我々に求められているのです。老人をケアするのは施設だけではなく、老人が人間らしく生きられる社会にすることなのではないでしょうか。

ラブ小松

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

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私の子どもの頃の太陽は、お日様ぽっかぽかと言って非常に気持ちの良いものでした。夏休みになると、真っ黒になるまで外で遊んで、ランニングシャツのあとがくっきりと残るぐらい日焼けし、皮がむけたものです。海水浴は2回ぐらい行けば風邪をひかないと言われ、必ず家族で自転車に乗って安宅の海岸や加賀舞子海岸へ行きました。特に加賀舞子海岸では、水深2メートルぐらいの所にハマグリがいて、水中眼鏡で透き通った水越しに見え、よく採りました。そして海岸の木片を集めて焚火をし、採ったばかりのハマグリを焼いて、パカッと口を開けたところに醤油をかけて食べました。砂を噛んでジャリっと口の中に音がしても美味しかったことは、今でも食感として残っています。昔の海岸線は遠浅で、かなり沖まで歩いていけたのですが、今は陸から急に深くなり、ハマグリも全くいません。ユンボでハマグリを採り尽くしてしまったことが原因ということでしたが、今はどこもかしこもいなくなったようです。

それは気候変動、環境汚染の影響が大きいようです。まず私たちの子どもの頃より日差しが強くなっています。最近の太陽光線は紫外線が強く、ジリジリと肌が焼けるようです。その上、雲が一切なく快晴の日が多いです。昔は夏の空に入道雲が大きくもくもくと出ていたのに、今は小さくなったように思います。また、夏の夕方には夕立があり、ハスの葉を傘にして家に帰ったものですが、今はなくなりました。ここ数年の気候は、雨が降り始めると異常な土砂降りとなることが多いように思います。日本だけではなく、世界的に見ても、雨が降ると土砂降りとなり、洪水が発生するというパターンが日常化しています。梯川は拡幅改修されましたが、梯川の水位が以前よりも上がっているように感じます。その為、短時間の降雨で洪水、水害にたやすく結びつきます。私が住んでいる町は、床上浸水が1回、床下浸水が5回程あり、雨が続くと八丁川があふれるパターンでした。令和4年8月の洪水は、梯川が氾濫するということで、支流のポンプアップのポンプを全て止めてしまった為、被害が甚大なものとなりました。河川の改修は立前では100年から200年に1回の降雨に備えるということだったのですが、今の様子では100年に1回どころか毎年心配しなければならなくなっているようです。

また、降雪量が実に少なくなっています。私たちの子どもの頃は、冬は長靴を履き、50cmの積雪は当たり前でした。「38豪雪」の時は、平野部で2メートルから3メートルもの積雪があり、平屋の家などは屋根から積もった雪を放り上げていました。平年は雪下ろしをしていますが、私は雪下ろしの名人で、いつも近所の家を手伝っていました。この38豪雪の翌年に我が町は床上浸水しました。山に残っていた雪が、梅雨の長雨で一気に梯川に流れ込み、洪水となりました。大雪の翌年の夏は洪水が起こる可能性があると予測ができたのです。しかし今の降雨量は予測が難しくなっています。

私は程良い、あり余る必要がない、調度良いが一番だとかねてから言っています。そういう意味で、昔の気候は調度良かったのですが、今はそうではなくなってきています。どうしてなのでしょう。

その調度良い状況はどうして変わってきたのでしょう。これからその原因を探っていきたいと思います。

ラブ小松

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

資本財と消費財という言葉は耳慣れない言葉と思います。まず、消費財とは毎日我々が消費し、再生できる資財のことです。それに対して資本財とは、我々が消費をすると、再生できない資財のことです。例えば石油です。石油は再生できません。無限でなく有限で約50年後、石炭は約130年後に枯渇するといわれます。

しかしこの有限の資本財を、車の燃料として使い、冷暖房を使い、プラスチックを作る原料として消費しています。石油は日本ではほぼ産出できず、サウジアラビア等の中東地域に依存しています。この有限の石油はどんどん値上がりしています。過去に1リットル40円ぐらいだったのが、今では1リットル約180円となり、これからもどんどん上がり続けると思われます。OPEC(石油輸出国機構)も将来の不足を見越して生産制限し、値上げをして対応しています。その中で日本は一番弱い立場に追い込まれるでしょう。

大変な時代が遅かれ早かれやってくるのです。日本では現状の暮らしができなくなるのです。では代替エネルギーは出て来るでしょうか、なかなか難しいと思われます。代替エネルギーとして、太陽エネルギー、水素エネルギーがあります。まだ海のものとも山のものともつかないのが現況ですが、期待したいです。

さて、私たちは今の生活を続けられないとしたら、一体どんな生活をしなければならないのでしょう。それは、資本財の石油を消費しない生活、すなわち消費財を消費する生活が求められます。具体的に言うと、それは江戸時代の生活まで遡ります。油は油でも菜種油、人間が再生できる油を燃やす、暖房は炭をおこす、木を燃やす、山へ柴刈りに行って薪を拾ってきて燃やす、そんな生活こそが求められるのです。昔は、科学肥料ではなく人糞を肥料として使い売っていました。いつもお百姓さんが汲み取りにきて穀物を代金として納めていたのです。今は人糞を浄化して川へ流し、川を汚染しかねません。今更、決して戻れませんが、なんと先祖は工夫をしていたことでしょうか。

こう考えると、現代の生活は江戸時代と比較して実に無駄の多い生活ともいえます。その上、再生できない、継続するのが難しい、どこかで行き詰まる生活です。

明治以後、地球環境が汚染され、温暖化が進んでいます。私はこのままでは今の生活が続けられなくなるという不安感が心の奥底にあります。これは今の社会の底辺に漂っているようにも思えます。私たちは自信を持って生活をしていけるのか疑問です。

今迄の人間の生活は大量生産、大量消費が当たり前でした。このスケールで経済優先の社会が未来もやっていけるのか、人間が人間らしく生活出来るか。今の教育で、消費で、所得で継続できるのか?

教育は大量生産に合った教育で、人間性を全く無視し、自分で考える、自分で思索することに慣れていないスポイルされた人間を多く育てたのかもしれません。人間らしく生きていく為には、いかに仕事をするのか、生きがいを持って生きられるのかが重要であり、社会のシステムを根本的に変えていく必要があるのでしょう。今迄良かったことがまるで正反対の悪いことになるように、全く違う考え方が求められるのではないでしょうか。どんな社会を目指すべきか常に求め続けるべきだと思います。それは自然の摂理に従い循環型の社会、すなわちサステナブル(持続可能な)社会を目指すべきです。資本財の消費ではなく消費財の消費、循環型、社会の仕組みこそが我々が今考えるべきことなのでしょう。また、各国で起きている愚かな紛争はいち早くやめるべきです。

ラブ小松

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

広辞苑によると、科学とは、観察や実験的手続きにより実証されたデータを論理的・数理的処理によって一般化した法則的・体系的知識、また個別の専門分野にわかれた学問の総称、物理・科学・生物学などの自然科学が科学の典型であるとされるが、同様の方法によって研究される社会学・経済学・法学などの社会科学・心理学・言語学などの人間科学もあるとされています。

一方、政治は、①まつり事、②人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。権力・政策・支配・自治にかかわる現象。主として国家の統治作用を指すが、それ以外の社会集団および集団間にもこの概念は適用できる。森鴎外は「一は多数を相手にした為事(しごと)である。」とされています。

最近、この科学と政治が混同されていると思われるのです。

特に気象庁の気候、天候の発表の仕方です。気象庁の発表の仕方が政治的になっているように思えます。端的に言えば気象予報が常に大げさなのです。例えば、台風の予報です。この予報は常に大きく言われます。それは何故かと言うと、大きく言えば危険を察知して国民がその災害に備えるという予測からなのです。大げさに報道して被害が少なければ気象庁に対する非難は少ないでしょう。しかし、予報が外れ、予報より被害が大きいと非難轟々でしょう。だから大きく言っているのではないでしょうか?それは科学に基づくものではなく、政治によるものなのです。このことにより、国民はその報道に対して、必ず大げさに報道しているから大したことはないだろうとたかをくくってしまいます。童話のオオカミ少年の話と同じです。オオカミ少年の話は皆さんご存知でしょう。

さて、話を本論に戻しますが、今年の元旦に起こった能登半島地震の気象庁の報道についてです。この報道によると、地震の規模を示すマグニチュードは7.6で、1995年阪神・淡路大震災のマグニチュード7.3を上回る規模で、私たちの住んでいる小松市は震度5強の揺れを観測しました。その後もかなりの頻度で余震が続いています。今回の地震はマグニチュード7.6でしたが、マグニチュードの数字が2増えると、地震のエネルギーの大きさは約1,000倍になると言われています。この7.6はおそらく能登半島では歴史上なかったと思われる規模で、少なくとも有史以来、人間が能登に住んで以来なかったことではないかと思われます。

では今後起こる可能性はどうなのかと言えば、恐らく100年以上は起こらないのではないか?と思われます。何故そう言えるのかと言うと、私は77歳で体験してきているからです。私の知る限りマグニチュード7.6の地震を経験しておらず、歴史を紐解いてもそんな記録がないからです。地球上の地震の歴史は、我々人間の歴史と桁違いに長いのです。このエネルギーが溜まるには1,000年ぐらいの期間が必要ではないかと思われます。

さて、能登半島地震発生時の小松市役所の防災無線放送により、5m〜7mの津波が押し寄せると呼びかけ、多くの市民が避難しました。我町民も例外ではなく右往左往でした。私は自宅前のどぶ川と、梯川の水位を見て、5m〜7mの津波なんてあり得ないと言って町民を静めました。まず潮位が引くと、川の水位が下がるのですが、それが全然なかったのです。また、日本海は昔、陸続きだったため、水深が深い所でも150m程です。太平洋は水深3,000m越えのところもあり、水量が全く違うのです。この水量の差は津波の大きさを左右するに違いないのに、その差を科学で立証は一切されていません。歴史上小松の津波は50cm~70cmぐらいで、ほとんど記録されていないはずなのです。

2011年東日本大震災の津波は、私達の記憶に新しいと思いますが、東北の場合は昔ここまで津波がきたという記録があるそうです。これより下の所に家を建てるなという石碑があるそうです。私達は歴史を科学して学ぶべきなのです。それを無視して家を建てたり、原発を設置したりしているのです。なんと愚かなのでしょう。

大切なのは事実を把握して、科学として恐れることは恐れ、恐れる必要のないことは恐れない心を育てることです。

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

対と絶対が対決すると争いや戦争になると前回号で言いましたが、中国故事に面白い話がありましたので取り上げます。それは、『矛盾』という言葉です。

「矛」はホコといい武器の一種です。

「盾」はタテで防具の一種です。

昔、中国の楚の国に矛と盾を売る者がいて、「自分の矛はどんな盾をも破ることができ、自分の盾はどんな矛も防ぐことができる」と誇っていました。まさに、絶対と完全の戦いです。そして、お客が「お前のその矛でその盾を突いたらどうなるか?」と言われ答えられなかったという故事でまさに『矛盾』です。絶対と完全が対決すると解決のしようがないという事なのです。絶対と完全は事と前後が整わないことであり、つじつまが合わないことContradictionなのです。

また、同一の命題が肯定されると同時に否定されることがあります。「命題」と「否定」の連語です。現実のうちにある両立しがたい相互に排除しあうような事、物、傾向、力などの関係なのです。

「矛盾概念」「矛盾原理」「矛盾対当」「矛盾律」「矛盾冷覚」等の言葉がありますが、

まさに絶対と絶対の対決なのです。

しかし、人間は絶対に相手の絶対は認めません。特に考え方や宗教において相手を認めないのです。その事により、人間は戦争を繰り返しているのが世界の歴史なのです。

なんと愚かなのでしょう。この世の中には矛盾があるという事が歴史的にも証明されているのに残念です。絶対神と絶対の神との争いが今の世界です。

日本人の多くは比較的に仏教徒が多く、国民の大半を占めています。そんな日本人に対して、絶対主義の宗教の中では日本人は無宗教だと言って軽蔑した見方をする人が多いと聞いています。これは大きな間違いだと私は思います。この戦争の多い地球上に今必要なのは、この日本人の宗教観ではないかと思うのです。あらゆる物、石ころのような鉱物にさえ神が宿る八百万の神の信仰こそが今必要なのではないでしょうか。山川草木悉皆成仏こそが現代に求められる宗教なのではないでしょうか。今、絶対神は科学によって矛盾がつまびらかになってきています。矛盾が出てきているにも関わらず、盲信しているとしか思えないほど信じています。そして、その上に他の絶対を批評しているのです。戦争にならない訳がないのが不思議です。これは相手を認める度量が求められます。その上この世は八百万の神を信じ、この物や山や川にも神が宿り、太陽にも神が宿る、八百万に神が宿り、相手や自然を大切にし、物を大切にする思想・宗教こそが今求められているのです。絶対なんかあり得ない、完全なんかあり得ない、人間なんて実に不完全なものです。失敗をする動物なのです、その失敗こそ人間を成長させる糧なのです。失敗を恐れず、失敗のない社会を目指すのです。失敗は人間がいる限り無くなりません。失敗をした時にどう対処するかが人間の価値を作るのではないでしょうか。

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

私は絶対正しい、原子力は絶対安全だ、今世の中で絶対という言葉が蔓延しています。この絶対という言葉は一体どういう意味なのでしょうか?

広辞苑によると、他に並ぶもののないこと、他との比較対立を絶していること、一切他からの制限拘束されないこととなっています。

絶対の使われ方ですが、絶対の地位を保つ(専制君主等)、絶対の心理、決して断じて、どんなことがあっても必ず、絶対に間違いはない(自信)、絶対に許さない(復讐)、絶対安静、絶対安定、絶対安定多数、絶対音楽、絶対音感、絶対温度、絶対概念、絶対君主政体、絶対敬語、絶対権、絶対視、絶対者、絶対主義、絶対上昇限度、絶対精神、絶対単位系、絶対知、絶対値、絶対的、絶対的観念論、絶対的剰余価値、絶対的否定性、絶対等級、絶対に、絶対年代、絶対評価、絶対量、絶対震度、絶対対決等々、絶対とつく言葉は30以上あり、様々な場面で使われています。

なんと人間は絶対という言葉が大好きなのでしょうか。大好きなのはその言葉なのか?その意味なのか?どちらなのでしょう。私はこの絶対という言葉が実に限定的なことに驚かされます。絶対というと一つしかないのですが、この世は一つだけで生きていけるのでしょうか?例えば一神教です。神は絶対なりと信じてしまうと、その神以外を認めないことになります。しかし、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教等、世界にはいくつもの宗教が存在しています。それらの宗教それぞれに絶対神が存在するとして、その神々が同じことを言えば争いは起こらないですが、違うことを言えば当然争いが起こります。自分が信じている神が正しい、いや我々の神の方が正しいと主張し合えば、必然的に争いが起こり、戦争になります。その信者が心の中に自分の思いを秘めておけば平和は保たれますが、一度主張し始めると、絶対と絶対がぶつかり、相譲ることなく、相寄ることなく戦いが続くのです。それが5千年以上1万年以上続く人間の歴史なのです。人間は愚かであるとつくづく思います。

ある宗教では、右の頬を打たれたら左の頬を出しなさいと言いますが、やっていることと言えば、右の頬を打たれたら左の頬を打っています。これは報復の概念です。絶対と絶対が争う皆殺しの概念が出てきます。昔、十字軍の遠征で、キリスト教徒がイスラム教徒を皆殺しにしたらしいですが、やられたらやり返すという考えのもと、歴史が繰り返されています。目には目を!のもとに。

宗教ばかりでなく、原子力の件でも絶対が盲信されています。以前志賀町の原子力発電所へ見学に行ったのですが、施設を案内してくれた北陸電力の方が、原子力は絶対に安全ですと言うのです。私は絶対安全なら何故東京の近くに発電所を作らないのか聞くと、東京の地価が高いからだと答えました。しかし送電コストのことを考えると近くの方がいいでしょうと言うと、返事が返ってきませんでした。結果的に絶対安全でなかったのは、福島の原発事故で一目瞭然です。そして浄化には、数千年の月日が必要だと言われています。

この絶対は大丈夫なのでしょうか?私は絶対に!!人間は間違いを犯す動物だと思っています。間違いを犯さない完璧な人間などいないと思っています。人は間違いを犯してそれを正すことによって成長する動物なので、ミスを犯さない人などいないと言っても過言ではないと思います。必ずミスを犯します。

それが絶対間違いを犯さないなんて…?いうのは電力会社か政治家だけなのでしょうか?

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

Name:
高橋 達也
Position:
店長・売買営業
Career:
宅地建物取引士
2級ファイナンシャル・プランニング技能士
Message:
不動産は無理して買うものではありません。また不動産を買うことがゴールではありません。むしろスタートです。
一緒にスタートを切るお手伝いを精一杯させて頂きます。

Name:
金川 明充
Position:
主任・売買営業・賃貸営業
Career:
宅地建物取引士
Message:
不動産購入・売却へのストーリーはお客様の数だけ違います。一人一人のペースやタイミングに合わせた接客や情報提供を常に心がけています。
何なりとお気軽にご相談ください。

Name:
大山 藍子
Position:
賃貸営業・賃貸物件管理
Career:
少額短期保険募集人
Message:
お客様と同じ目線に立ち、ご希望にあった物件に出会えるよう精一杯サポートさせていただきます。
誠心誠意対応し、信頼して任せていただけるよう努力いたしますので、お気軽にお問い合わせください!

Name:
小川 香奈恵
Position:
賃貸営業・賃貸物件管理
Career:
少額短期保険募集人
Message:
お客様が安心して新生活のスタートができるように全力でお部屋探しのお手伝いをさせていただきます!
お気軽にご来店ください。笑顔でお待ちしております♪