サンサンコーナー
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少子、高齢化社会
今、日本は世界でも珍しい程の、未だかつて人類が経験した事の無い高齢化社会に突入しています。前回その為には高齢者を中心とした社会を作らねばならないのではと述べさせていただきました。今回は少し視点を変えて高齢化社会の中の民主政体というものについて考えてみたいと思います。
今私は民主政治という政体に非常な危機感を持っています。それは以下のように愚民政治に陥るのではないかという疑念を持っているからです。日本の政体は国民の総意といわれる選挙によって代議員を選び、その代議員が首班を選び首相となり、議員制民主主義により国が運営されています。つまり民主主義の基本である選挙で議員を選び出しているのです。しかし今、この選挙が人気投票の様相を帯び、その選挙で選ばれる人はどんな考え方の人でどんな資質を持ちどんな性格の持ち主なのか、個人的なことは何一つ解らず、元官僚であったとか議員の秘書であったとかで選ばれています。それは建前として、国民の意志として国政を任せたとして選ばれています。でも今の国民はそんな重大な選択をしていると意識しているのでしょうか。一旦選ばれると国民の意志として一人歩きし、国民が思っている方向と少しずれているとしても勝手がまかり通っていってしまう、摩訶不思議が通っています。そしてその行政機関も派閥の論理で、能力のある人無い人を含めて執行機関が組織され政策が行われていきます。
執行能力に関係なく指名されているため、失言も失態も多く、議会は非難中傷の嵐で建設的な政策論議は国民の全然わからないところで行われているか、あるいは全然行われず官僚の意図のみで行われているのではないかと危惧されます。それも最近は日本国内だけの問題であればその影響も少なく済むのですが、諸外国との関係、交流・交渉等が入ってくると全く外国に歯が立たない感さえあります。
今日本は平和な老人天国です。でもこのままでは老人天国ももうすぐ終わり、これから苦難の道が待ち構えているのというのに、このような無能力的な行政でよいのかということを考える時、この民主政体の限界のようなものを感じるのは私だけでしょうか。
今60歳以上の人が一家に二人以上という家族で、年寄りばかりの選挙民が選ぶ人は、世のしがらみとかに大きく左右されず、本当に政治に向いている人を、指導者として王道を極めた人を選べるのかというと本当に疑問です。
今の日本に老人の王道楽土を築き、世界の高齢化社会の範となる為に、我々は世の中の動きを見、10年先20年先の世を読み、先手を打っていける、そんな政治家を選べるシステムを作っていかなければならないと思います。そうしなければ世の中で政治家が最も劣っているといっても過言でない時代がやってくるかもかもしれません。
一億総痴呆時代がやって来るこの時代に、なんとか住み良い社会づくり、システム造りのできる政治家に登場して頂きたいものです。そんな政治家を選べる老人になりたいものです。
不動産ゆうみん&都市研究家 調 亮