サンサンコーナー
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サスティナブルな社会を目指してⅣ
最近スマホが大はやりで、道を歩きながらスマホ、自転車を運転しながらスマホ、電車に乗っているほとんどの人がスマホに見入っています。世の中全てがスマホ、スマホ、それ一色みたいな程、全国の人がみんなはまっていて、まるで歩くパソコンのようです。
そしてその中から情報を取り出す、ゲームをする、辞書を繰る、地理情報を取り出す、GPSで自分の居場所を知る、山で遭難した場合等の位置情報を送る、痴呆で迷子になった人の位置情報を得る等…。世の中段々と便利になってきてスマホを離せなくなり冒頭のような仕儀になっているようです。
しかし四六時中、スマホを離せないとは今の世の中おかしいと感じる人はいないのでしょうか?歩きながらのスマホ、自転車や自動車の運転をしながらのスマホは実に危ないと思うのは私だけでしょうか。いや、ほとんどの大人はその危険を察知しているのではないかと思います。しかしその大人と思われる人迄もスマホを離せなくなっている方が相当数見受けられるようになり、1億強の日本人が痴人のようになっているのを見るにつけ、日本はこれで大丈夫なのだろうかと心配になります。
スマホなんてものは情報を仕入れるだけの手段にすぎません。その情報から何かを引き出し、人間関係を構築し、物造りをしていく一つの手段なのです。それがあたかも主流のようになって、今日本社会に氾濫しているのです。今の若い者は(私はこの言葉が大嫌いだったのですが)我が物顔でスマホを操作して、スマホをいじれない者は人間じゃない!ぐらいに思っているのではと心配です。
一時的な風邪熱がついたようにスマホ熱に犯されているのかな?いつかは冷めるのかな?と見ていますが、当分の間は冷めそうにありません。それどころか益々エスカレートしそうな勢いです。私はこんな社会は永久に続くはずが無いと思っています。スマホは今の人間の生活に取り込んで、それをこれ見よがしに操作するのでは無く、生活本体に取り込んでしまって表に出なくなってこそ、生活の落ち着きが得られるのではないかと思っています。
十数年前までは少なかった情報量が、今情報氾濫の時代に入り、その膨大な情報をどう処理するかという能力が、現代の人々に不足しているように感じます。
例えば、1つの情報に10人の人が接したとすれば、個々の能力に応じて反応は多様になるため、情報解析が非常に重要となります。それによって国を、県を、市を経営し、会社を経営することこそが最も大切なことなのです。
いみじくも台風19号が猛威を振るって甚大な被害を及ぼしました。しかし今度の19号のコースは長野、岐阜、新潟に多大な被害をもたらし、石川県は比較的被害を受けないコースであるという情報が入っていたにもかかわらず、長野に新幹線を駐機したことは、誤った判断だったと思います。情報をどれだけ得ても何の役にも立たないという具体的な見本です。その事で金沢はどれだけの損害を被ったでしょう。お菓子屋さん、料理屋さん、お土産屋さん等大変な被害でした。それがその情報の判断一つで左右されるのです。
このような判断の誤りは、サスティナブルな社会建設には、磨きをかけなくてはいけない事ではないでしょうか?
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)