サンサンコーナー
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少子高齢化 PARTⅣ
この8月に私も71歳になりました。まさか私がこんな歳になるなんて思いもしませんでした。私のまわりはほとんど定年退職して、年金生活者ばかりになってきました。前回にも言ってきているように、今ある資源(年寄)をうまく使える社会システムを作っていくべきだという主張は、これから重要度を増してくると信じています。
その為には社会システムの構築もさりながら、老齢者本人の資質の改善、能力の開発、健康な体の維持etcが求められ、そしてその人の能力を冷静に見極める力量が社会に求められてきています。しかしこの力量を見極める能力というのは非常に難しく、一律に年齢が来れば定年、リタイアメントという形で、社会から葬り去ってしまっているのが現状です。この力量をはかるという能力で気になることがあります。
私は高校大学を卒業して、もう50年近く経過しているにも関わらず、どこの高校を卒業してどこの大学を出たかという事がいまだに評価の対象になっているように思います。まして、東大なんか卒業していると世の人々は尊敬のまなざしで人を評価します。その上、上級官僚にでもなっていれば、一般人は皆評価して講演依頼をして喜んで拝聴しています。私もこの手の人の講話をよく拝聴していますが、あまりレベルの高いものはありません。特に政治家の話、元官僚の話等は実にレベルが低く聞くに堪えないものが多々あります。
これは、社会が学歴とか職歴とかによってのみ人を評価する風潮が大勢を占めて、その人の力量を冷静に見極める能力が不足していることの証しではないかと思います。
今は、社会システムがある程度出来上がってしまい、組織が硬直化し、人事が硬直化し、情実的になり、たいした能力が無くてもやっていける平和な時代なのです。でもこんな平和な時代はいつまでも続くはずがないのです。もうこの少子高齢化社会そのものが社会の大変革を起こすのです。そして今この変革に対する硬直した官僚機構で対応できるのかというのは、この官僚が作り上げた規制≪規制は日本の国をまさにダメにしていくと思われるのですが≫に対して何の対策もせずに、今さえ、自分さえ良ければいいという官僚天国に胡坐をかいたままでは世界から取り残されてしまうのではないか、と危惧しているのは私だけでしょうか?その元凶は東大卒のエリートによって運営されているのです。もう中央政府にはいつくばる卑屈な心を捨て去り、自分で考え、自分で判断する独立した考えを一人一人が持ってもよいのではないかと思うのですが。そしてやはり原点に戻り、元気な高齢者をうまく使い、子供を作って育てる環境づくりこそが喫緊の問題ではないかと思います。
もっともっと本質・本物を見極めていく力量を我々は身につけましょう。
調 亮