サンサンコーナー
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平等or不平等
昔イソップ物語で、アリとキリギリスの物語がありました。アリは一生懸命に働き富を蓄積し、老後は安泰であり、キリギリスは働かないで浪費生活を送り、落ちぶれ果ててしょぼくれた老後を送ったというような話であったと思います。
この物語は子供の頃の私にある種のインパクトを与えました。みんな真面目になって一生懸命働かなくちゃいけないと思ったものでした。それが今の日本経済を支えたのではないかと思います。そしてその我々が老年期に入ってきた訳です。
今私達はアリのように一生懸命働いてきて、安定した老後か?富の蓄積があったのか?と問われると、日本国全体としては壱千弐百兆円を超える郵便貯金に代表されるように、豊かになってきたのではないかと思います。しかし同時に、国が国民から壱千兆円を超える借金をしているという状況は、豊かといえるかどうかは疑問だと思います。が、ともあれ世界的に見れば裕福な国になったのではないかと思います。
しかしその子供、孫達の世代はニートとか言われ、仕事をしないで親、祖父母のスネをかじって、まるでキリギリスの生活をしている方々が多くなってきているように感じられます。
これではまるで、アリがキリギリスを養う為に働き続けるという図式が出来上がり、まるでアリの人生は一体何だったのかと疑問に考えさせられるのは私だけでしょうか?
今私達日本人は非常に裕福な生活を送りながら、もっともっと、これでもかこれでもかと求め続けて、本当の幸福というものからどんどん遠ざかっているように思えてなりません。
今や昔と違って、食べられない人というのは皆無のようです(?)でも幸福感を持っている人、私は幸福だなと感じている人は全体の何割ぐらいなのでしょうか?あんまりいないように感じられるのは私だけでしょうか?
今やそのキリギリスはアリにたかって、する事もなく、人生の目的も見失ってしまったようです。うつ病、神経症による自殺者が交通事故の死者数を上回ると言われています。 生きるだけが精一杯、今日食べる米が無いという時代には、うつ病なんかは殆ど無かったと思います。今や大変な数の人がうつ病になっていると聞いています。これはどうしたことでしょう?
生活が豊かになって、物があふれ、所得も増え、労働条件も良くなり、働き場所もいっぱいなこの時に、この幸福の実感はどうなのでしょう。
私達は平等と不平等、この差というものをどう考えれば良いのでしょう。アリとキリギリスは、実はどちらが良いのでしょう。よく考えてみなければなりませんね
不動産ゆうみん&都市研究科 調 亮