サンサンコーナー
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不動産の仕事は私の天職
私たちの仕事、労働の質が変わってきていると最近つくづく感じます。それは何かというと、利益を追求する、その仕事一つ一つで利益を上げるという使命感、利益を上げないと企業がやっていけない、個人もやっていけないという必然性があります。この利益というのは実にくせ者です。利益を出すためには効率が必要だと思われいて、効率は時間をかけない、極力早く仕上げることを追求します。そして原価をより安くすることが求められます。この早く、安くの追求は、仕事、労働の形態を変えつつあります。まず、早く製品を仕上げるために流れ作業化します。あらゆる仕事、労働が細分化、単純化されます。これは人間を機械の一部として使い、より早く製品を仕上げるという流れになっており、車の製造過程を見れば一目瞭然です。その上、労働時間8時間という社会の規約?は人間の労働を貶めているとしか考えられないのです。そして機械にはミスがないということで、ロボット化、機械化が進められています。ミスをするのは人間だけということになると、人力を極力省こうとする動きが体制化しています。人間はミスをする動物です。しかしそのミスを無くすために努力する動物なのです。それは、この複雑な交通社会で事故が絶えない事実を冷静に見ればわかります。いかに交通違反金を高くしても防げないのです。飲酒運転も然りで、自分を律することすらできないのです。飲酒自体はミスではないですが、酔うことによってミスを犯し易い状態に陥ることを自分で律しないといけないのです。人間はそのように弱い動物なのです。
今から65年前の中学時代の恩師が、「君たちは幸せだ。それは大量生産によって物が溢れ、安く買える時代が来る。」と言っていました。確かにそんな時代がやってきました。物は溢れ、江戸時代のお殿様よりも贅沢な生活を送っています。しかし私たちは幸せを感じているのでしょうか?生活を楽しんでいるのでしょうか?一日、24時間のうち睡眠に8時間、仕事に8時間、残りの8時間は余暇?という時間の配分です。ここで問題となるのは、一日の三割を占める労働時間です。この三割の労働の質が、流れ作業等の単純作業でいいのでしょうか。達成感はあるのでしょうか?生きがいがもてるのでしょうか?あればそれでいいのです。生きがいがないと、それは地獄に変わり、余暇(残り8時間)に生きがいを見い出さねばならない生活になってしまいます。
私は次の言葉が大嫌いです。それは「時間を潰す」という言葉です。暇だから〇○○○で時間を潰す、暇だから趣味に生きる、ならいいのですが、趣味に生きがいを見い出している人はまだまだ少ないようです。私たちの時間は限られています。人生100年時代といわれる中で、自分の生きがいを持つ時間を過ごすことは、とても大切なことではないでしょうか。時間は潰してはいけないのです。いかに有意義に時間を使うか、それは仕事、労働の質にかかっているのではないでしょうか?仕事が楽しみならば人生は極楽で、仕事が苦しみならば人生は地獄です。
今、無職の人が増えているように思えます。犯罪者の職歴を見ると、無職の割合が高いようです。無職の人が、収入がなく、することがないので、罪を犯すのでしょうか?それはやはり人生を楽しんでいないからではないでしょうか。仕事が生きがいの人は人生を楽しんでいて、元気があるように思えます。自ら考え、能動的に仕事に取り組むことこそが、人生を楽しむ極意なのかもしれません。そういう意味で私は不動産の仕事は天職と思い、世の中に貢献していけたら良いなと思っています。
人生円熟、生涯現役、これから、これから!
ラブ小松
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)