サンサンコーナー
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『矛盾』
対と絶対が対決すると争いや戦争になると前回号で言いましたが、中国故事に面白い話がありましたので取り上げます。それは、『矛盾』という言葉です。
「矛」はホコといい武器の一種です。
「盾」はタテで防具の一種です。
昔、中国の楚の国に矛と盾を売る者がいて、「自分の矛はどんな盾をも破ることができ、自分の盾はどんな矛も防ぐことができる」と誇っていました。まさに、絶対と完全の戦いです。そして、お客が「お前のその矛でその盾を突いたらどうなるか?」と言われ答えられなかったという故事でまさに『矛盾』です。絶対と完全が対決すると解決のしようがないという事なのです。絶対と完全は事と前後が整わないことであり、つじつまが合わないことContradictionなのです。
また、同一の命題が肯定されると同時に否定されることがあります。「命題」と「否定」の連語です。現実のうちにある両立しがたい相互に排除しあうような事、物、傾向、力などの関係なのです。
「矛盾概念」「矛盾原理」「矛盾対当」「矛盾律」「矛盾冷覚」等の言葉がありますが、
まさに絶対と絶対の対決なのです。
しかし、人間は絶対に相手の絶対は認めません。特に考え方や宗教において相手を認めないのです。その事により、人間は戦争を繰り返しているのが世界の歴史なのです。
なんと愚かなのでしょう。この世の中には矛盾があるという事が歴史的にも証明されているのに残念です。絶対神と絶対の神との争いが今の世界です。
日本人の多くは比較的に仏教徒が多く、国民の大半を占めています。そんな日本人に対して、絶対主義の宗教の中では日本人は無宗教だと言って軽蔑した見方をする人が多いと聞いています。これは大きな間違いだと私は思います。この戦争の多い地球上に今必要なのは、この日本人の宗教観ではないかと思うのです。あらゆる物、石ころのような鉱物にさえ神が宿る八百万の神の信仰こそが今必要なのではないでしょうか。山川草木悉皆成仏こそが現代に求められる宗教なのではないでしょうか。今、絶対神は科学によって矛盾がつまびらかになってきています。矛盾が出てきているにも関わらず、盲信しているとしか思えないほど信じています。そして、その上に他の絶対を批評しているのです。戦争にならない訳がないのが不思議です。これは相手を認める度量が求められます。その上この世は八百万の神を信じ、この物や山や川にも神が宿り、太陽にも神が宿る、八百万に神が宿り、相手や自然を大切にし、物を大切にする思想・宗教こそが今求められているのです。絶対なんかあり得ない、完全なんかあり得ない、人間なんて実に不完全なものです。失敗をする動物なのです、その失敗こそ人間を成長させる糧なのです。失敗を恐れず、失敗のない社会を目指すのです。失敗は人間がいる限り無くなりません。失敗をした時にどう対処するかが人間の価値を作るのではないでしょうか。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)