サンサンコーナー
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絶対とは何か?
私は絶対正しい、原子力は絶対安全だ、今世の中で絶対という言葉が蔓延しています。この絶対という言葉は一体どういう意味なのでしょうか?
広辞苑によると、他に並ぶもののないこと、他との比較対立を絶していること、一切他からの制限拘束されないこととなっています。
絶対の使われ方ですが、絶対の地位を保つ(専制君主等)、絶対の心理、決して断じて、どんなことがあっても必ず、絶対に間違いはない(自信)、絶対に許さない(復讐)、絶対安静、絶対安定、絶対安定多数、絶対音楽、絶対音感、絶対温度、絶対概念、絶対君主政体、絶対敬語、絶対権、絶対視、絶対者、絶対主義、絶対上昇限度、絶対精神、絶対単位系、絶対知、絶対値、絶対的、絶対的観念論、絶対的剰余価値、絶対的否定性、絶対等級、絶対に、絶対年代、絶対評価、絶対量、絶対震度、絶対対決等々、絶対とつく言葉は30以上あり、様々な場面で使われています。
なんと人間は絶対という言葉が大好きなのでしょうか。大好きなのはその言葉なのか?その意味なのか?どちらなのでしょう。私はこの絶対という言葉が実に限定的なことに驚かされます。絶対というと一つしかないのですが、この世は一つだけで生きていけるのでしょうか?例えば一神教です。神は絶対なりと信じてしまうと、その神以外を認めないことになります。しかし、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教等、世界にはいくつもの宗教が存在しています。それらの宗教それぞれに絶対神が存在するとして、その神々が同じことを言えば争いは起こらないですが、違うことを言えば当然争いが起こります。自分が信じている神が正しい、いや我々の神の方が正しいと主張し合えば、必然的に争いが起こり、戦争になります。その信者が心の中に自分の思いを秘めておけば平和は保たれますが、一度主張し始めると、絶対と絶対がぶつかり、相譲ることなく、相寄ることなく戦いが続くのです。それが5千年以上1万年以上続く人間の歴史なのです。人間は愚かであるとつくづく思います。
ある宗教では、右の頬を打たれたら左の頬を出しなさいと言いますが、やっていることと言えば、右の頬を打たれたら左の頬を打っています。これは報復の概念です。絶対と絶対が争う皆殺しの概念が出てきます。昔、十字軍の遠征で、キリスト教徒がイスラム教徒を皆殺しにしたらしいですが、やられたらやり返すという考えのもと、歴史が繰り返されています。目には目を!のもとに。
宗教ばかりでなく、原子力の件でも絶対が盲信されています。以前志賀町の原子力発電所へ見学に行ったのですが、施設を案内してくれた北陸電力の方が、原子力は絶対に安全ですと言うのです。私は絶対安全なら何故東京の近くに発電所を作らないのか聞くと、東京の地価が高いからだと答えました。しかし送電コストのことを考えると近くの方がいいでしょうと言うと、返事が返ってきませんでした。結果的に絶対安全でなかったのは、福島の原発事故で一目瞭然です。そして浄化には、数千年の月日が必要だと言われています。
この絶対は大丈夫なのでしょうか?私は絶対に!!人間は間違いを犯す動物だと思っています。間違いを犯さない完璧な人間などいないと思っています。人は間違いを犯してそれを正すことによって成長する動物なので、ミスを犯さない人などいないと言っても過言ではないと思います。必ずミスを犯します。
それが絶対間違いを犯さないなんて…?いうのは電力会社か政治家だけなのでしょうか?
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)