サンサンコーナー
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悪人顔のおもしろなさ!
「のう越後屋、お主も悪よのう」この一節は、ドラマ水戸黄門の悪徳商人が越後屋に向かって言うセリフで、越後屋とは江戸時代の豪商です。どうも日本人というと、清廉潔白が理想で、商売というと何か悪いことをして儲けているようなイメージが強いようです。昔から士農工商といって、社会的に商人は一番低い地位にありました。しかしお金の力で世の中はだんだんと変化し、その結果、明治維新という大きな社会変化となって現れたのです。越後のちりめん問屋、越後屋、鴻池(こうのいけ)家等は江戸時代の豪商ですが、飢饉の際は米の買い占め、火事になれば材木の買い占め等を担当官僚等と癒着して行い大儲けをしたため、庶民は商人に対し良いイメージを持っていなかったようです。いずれにしろ今も昔も悪い人達がいたようです。
しかし最近は、テレビドラマの悪役をする人の顔がどうも悪役をする顔でなくなってきているように思います。我々の子どもの頃の悪役の顔といえば、本当に悪いことをしそうな顔をしていたものです。今のドラマを見ていると、ほとんどがイケメンで、背が高くて足が長く、顎がなくてラッキョウ顔で、小顔でスタイルのよい人ばかりです。えらが張って、目がギョロリとして、鼻が大きく横に拡がり、胴が長く、足が短くて悪知恵が働きそうな悪役はどこへいったのでしょう。いつからか皆同じような顔つきになり、人を殺したりお金を盗んだり悪事を働くのは普通の顔の人で、精神的におかしいと思うような人が増えたように思います。
昔は貧しくて食べる物がない為に盗みをしたようですが、今は贅沢をする為に盗みを働くようです。それも普通の顔で。昔は平生の行いが顔に出たものですが、それは今も変わらず、自分の行いが顔に現れると思います。罪を犯すと、常に精神鑑定をしなければいけない今の世の中を見ると、これまでの教育は正しかったのかと心配になります。
私が言いたいのは、悪人のことではなく、悪役をする人が実に少なくなり、悪役がよくないドラマは見ていても全然面白くないのです。まるで全く味が無い、さび抜き寿司を食べているような味気無さが残るのです。やはりドラマを面白くするには悪というさびが必要なのかもしれません。
善がなければ悪がなく、その背景に深い深い思惑がひそんでいなければ何の面白味もありません。
最近の日本人の平準化の要因が、平準化された教育にあるとすれば大変なことではないでしょうか?個性を育てない、自分で思考しない、教えることのみが多く、学ぶことが少ない、友と交流することが少ない、教育が必要なのでしょうか。一律の平均的人間しか育てられない教育、学歴だけが物を言う教育が、はたして必要なのでしょうか。ある大学を出たら評価する、その人が持っている資質を評価できる日本人がいかに少ないか。学歴だけで相手の実力を評価するのではなく、その人の実力を正しく評価することのできる人になれるよう自分を高めましょう。
悪人顔から教育の話になりましたが、人生百年いかに充実させ楽しい人生を送るか、それは自分で考え、それを実行して自分らしく生きることしかないのではないでしょうか。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)