サンサンコーナー
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時鳥(ホトトギス)から子規へ
昔といってもそんなに遠い昔の話ではないが、私の家から時鳥の鳴き声が遠くから聞こえました。「キョ・キョキョ」、「ピピピピ」という鳴き声はとても澄んでいて、心が洗われたものでした。それは隣町の梯町の大きな木の上から聞こえていました。
もう聞こえなくなって久しいのですが、私の庭に椿の木があった時は、時鳥も鶯(ウグイス)も来ていたのですが、あまりに虫がひどいので切ってしまったら寂しいことに、もう雀と烏(カラス)だけになってしまいました。
時鳥は別名が、杜鵑、霍公鳥、郭公、子規、
杜宇、不如帰、沓手鳥、蜀魂と複数あります。カッコウ目カッコウ科の鳥で、カッコウに似ているが小形で、山地の樹林に住み、自らは巣を作らず、ウグイス等の巣に産卵し、抱卵、育雛を委ねます。鳴き声は極めて顕著で、「てっぺんかけたか」、「ほっちょんかけたか」などと聞こえ、昼夜ともに鳴きます。古来より夏鳥として、日本の文学、特に和歌に登場し、文無鳥(あやなしどり)、沓手鳥(くつてどり)、卯月鳥(うづきどり)、死出の田長(しでのたおさ)、魂迎鳥(たむかえどり)、夕影鳥(ゆうかげどり)、夜直鳥(よただどり)など様々な別名・異名が存在します。万葉集に、「暁に名告り鳴くなる時鳥」
とあるように、非常に名の知られた鳥です。
私が今、愛読しているペンネーム子規子も、この子規からとっていて、34年の生涯を駆け抜けた生き様とは、こんなに素晴らしいものかと毎日感動しています。子規全集全25巻のうち、12巻まで読み終えました。
俳句に対する考え方は素晴らしく、私も俳句を作れるのではないか、いや作らねばならない、作りたいという意欲が盛り上がってきており、こんなに簡単に作れるのかと感動しています。乞うご期待!
正岡子規は松山藩の出で、夏目漱石、河東碧梧桐、高浜虚子など多くの友人がいます。その友人たちは、子規が結核にかかって罹病する恐れがあるにもかかわらず(実際に罹病した人もいるそうです)、子規が死ぬまで俳句談義を重ねました。子規もその中で俳論を積み重ねていき、俳聖と言われるまで成長したのです。これは子規一人だけでは成長はとてもおぼつかず、仲間と語り合う、付き合う中で子規という人間が育っていったように思えます。
今、私たちは義務教育の中で、このような仲間と会話する機会があるのでしょうか。子規の仲間は非常にハイレベルで常にかんかんがくがくと議論し、激しい時は取っ組み合いになったことも一度や二度ではないようです。子規の友人関係が子規の俳論を築き上げたといっても過言ではないのでしょう。
私はここに人を育てる素養があるような気がします。記憶するだけの試験なんて意味があるのでしょうか、その記憶力で有名大学に入って意味があるのでしょうか。今、日本は壊れかかっていると思います。この大きな原因の一端はここにあるのかもしれません。相手に都合の悪いことは言わず、なあなあと流す日本流は、本質に全くせまることができず、ぼやけているように思えるのは私だけかもしれません。議論することに慣れていない日本人は、話し合いで解決しようとしますが、新しい結論に到達することは容易ではありません。
長寿は目出度く幸福ですが、子規の一生からは、長ければいいというものではなく、その一瞬、一瞬をどう生きたかではないかとさえ思われます。
今回は時鳥の鳴き声につられて子規を感じたままに綴ってみました。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)