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蘇我馬子と現代世相
日本の古代6世紀から7世紀頃の一族で、朝鮮の方から日本へ移り住んだ一族に蘇我一族がいます。ちょうど聖徳太子と同時期に蘇我馬子(ソガノウマコ)という人物がいます。聖徳太子の伯父にあたり、古代日本を支配した大貴族で、自分と同じ一族出身の天皇を殺した人と言われ、すごい逆臣であったとも言われています。
聖徳太子といえば、「一に曰く和を以って貴しと成す」という日本の基本的な哲学の基となる十七条の憲法を自ら定め、実際に政治を行った人物です。どうも馬子は、聖徳太子と随分衝突したのではないかと思われ、馬子と推古天皇と聖徳太子の三つ巴で政治を行ったようなのです。
この中で実にわかり易いのが蘇我馬子で、自分の一族の保身を第一に考えて行動していたようです。推古天皇はその馬子にうまく乗っかっているような印象を受けます。この中で聖徳太子は日本の哲学を独自に推し進めようとしているのです。この三人の温度差は、その後に如実に現れていきます。
まず聖徳太子の一族は、蘇我馬子の孫の蘇我入鹿(ソガノイルカ)に滅亡させられています。聖徳太子自身も、その末路は実に不自然です。今古代に遡ることは出来ませんが、どうも馬子に殺されているような雰囲気があるのです。そのうえ蘇我一族は、後の天智天皇に族滅させられています。入鹿が聖徳太子の一族を族滅させた時、入鹿の父がこれで我が一族も滅びるであろうと予想しているのです。その予想通り蘇我一族も族滅させられています。
蘇我馬子は自分の一族をいかに繁栄させるかを考え、あらゆる対策をしていたことが目立ちますが、結果的に一族は滅びてしまいます。蘇我氏は天皇家と見まがう程の権力を奮っており、大化の改新は、ほとんど蘇我入鹿の政策を踏襲しているのではないかと言われています。
その政策は尋常ではなかったように伝わっています。一族を残そうとした蘇我氏が滅び、日本の哲学を推進した「和を以って貴しと成す」が残ったのです。
今、世界は軍事力優先で、軍事力で物事が解決できると考えられています。ロシア連邦が、2022年2月24日にウクライナへの軍事侵攻を開始しました。ロシアのプーチン大統領が、6、7世紀の聖徳太子の考えにも及ばないというのは、人というのはいつまでも進歩しないものだなぁと思います。科学技術は発展していますが、考え方というのは変わらないのです。
また、聖徳太子が古代の1,400年前よりこの哲学を日本に広めたことは、大変素晴らしいことです。蘇我馬子の自分の一族第一主義という考え方は、難しいものと思われます。それを歴史が証明しています。軍事力で解決しても何も残らないのかもしれません。
実利を求めた馬子より、空利を追求した聖徳太子の方が後世に影響を及ぼしているのは、皮肉としか言いようがないのではないでしょうか。子孫には財産よりも筋力を残す努力こそ求められるのもかもしれません。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる