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「聖徳太子」の遺したコト
久しぶりに「聖徳太子」黒岩重吾著の小説4巻を読了しました。聖徳太子は日本人では特有の清らかでけがれ無き名前を持つ聖人です。様々な事業を成しているにも関わらず、実在の人物かどうかも疑われている事柄があるそうです。聖徳太子は、日本人に与えた影響は計り知れないものがあります。17条の憲法の根幹を成す『和を以て貴しとなす』は今をもって日本ばかりでは無く世界にも通じる哲学です。そして、今のロシアのプーチン大統領にも聞いてほしくらいです。日本の7世紀の哲学にいまだ持って及ばない人物は、世界の指導者になる資格は無いと思います。
聖徳太子はその上、日本と中国(当時の隋)との交流をし、日本を世界に紹介すると共に、日本社会の意識改革に努めました。この意識改革は至難の業でまさに教育の根本となり、経営の根幹に繋がるものでしょう。また遣隋使に目を奪われますが、私はこの日本人の意識改革こそが大偉業だと思います。聖徳太子は『豊聡耳皇子』と言われ同時に複数人の訴えを聞き分けて理解できるほど聡明な人物と伝えられています。伝説上の事で今となっては確かめようがありませんが、それを信じているのが楽しいかもしれません。
聖徳太子は蘇我氏の出身で蘇我馬子と叔父と甥の関係で、政治上は常にライバル関係にあり、最後には聖徳太子一族は蘇我氏の蝦夷入鹿の親子一族に族滅させられたようです。それは古代史の謎の一つです。しかし、古代史の聖徳太子一族の族滅により蘇我氏自身が天智系の氏族に大化の改新で族滅され以降、受け継がれていくのです。これを考えると、ライバルという存在は必要だなと常に思います。ライバルがいる事により自分も生かされているという事が歴史的に数多くみられ、自分が生き残れた場合も、後に必ず体制が弱り生き残れない場合が多いようです。
聖徳太子は49歳で生涯を終えていますが、これも歴史の謎で今となっては確かめようがありません。
このような日本最大の偉人でさえ、歴史上に存在しなかったのではないか、17条の憲法は後の代の制定で、文言の使い方が聖徳太子の時代と違うと指摘されています。それは、聖徳太子を聖人化して売り出した人がいるのではないかと言われています。それが藤原不比等で、作り上げてきたのが藤原家の興隆を計るためのストーリーであったという歴史の逸話もあるのです。
今、古代史は様々の繋がりを持ち続けていますが、何が真実で何が虚偽か?一つ一つ確かめていくことが楽しみです。その時代、時代の心理を探ることが大切です。その時代の思いが大きくその後の政治、民衆の行動に反映されているからなのです。そう思うと歴史は実に面白く、新しい発見が常にあるかもしれません。常に私達に話題と智恵を投げかけてくれます。読書をしましょう。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)