サンサンコーナー
Blog
自分の国は自分で守る!
人は自分が人より優れていると思うと、すぐ区別をしたがります。それが高じると差別につながります。それがわずかでも、いやどんなに些細なことであっても差別をして優越感に浸りたくなるのです。
人間の個人の能力、努力の差は僅かですが、その僅かな差が年月の積み重ねによって拡がり、時が経てば経つほど確実な差となり、その個人が終焉を迎えることにより、差の拡大は止まります。
それが富の蓄積となると、社会的地位や家柄の差となって表れ、何千年という時の経過によって、大変な資産の差となるのです。
私が最近危惧していることの一つに、「子供たちの元気のなさ」があります。
これは少子化によるものなのか、経済的に恵まれすぎて豊かになったことにより、ガツガツ競争しなくてもよくなったからなのか。私の子供の頃に比べると、子供特有のあり余るパワーのようなものが感じられないのです。今の日本の過度とも思える平等思想から来るものなのかもしれませんが、この状態が長く続いていくと民族が衰退してしまうのではないかと心配でなりません。
「ユダヤ滅亡史」を読んでいると、滅亡の方へ転がり落ちていくのはどうしてか?とつくづく不思議に思います。経済だけでなく、行政も思考もすべて衰えて、滅亡へ向かうのを誰も止められなくなってしまうのでしょうか。
民族の結束、パワーの源はその民族の宗教や理念、哲学にあると思います。現在の日本の風潮をみていると、確固たるブレない哲学があるようには思えません。この風潮を元に戻すには教育が必要だと思います。
我々日本人は「祖国は日本である」という思いを常に持っているのでしょうか?日本を自分達で守らなければならないという気概は本当に感じられません。同盟国アメリカに負担金を支払うことによって守られていると錯覚しているのかもしれません。アメリカの若者が命を懸けて日本を守ってくれる、そう信じている日本人の甘さはどうなんでしょうか。
昔ヨーロッパでは色々な国の権力者たちが、傭兵制度を採用して軍隊を持ちました。しかし金で雇われた兵など、命が危うくなるとすぐに逃げてしまう、ということが浮き彫りになりました。フランス革命後に主権が国民に渡り、国民国家という概念を持つようになってようやく「自分達の国は自分で守るんだ」という強い気持ちが生まれ、士気が高まり、軍隊は強くなっていったのです。
北朝鮮がミサイルを開発したぐらいでビクついている日本はこれでいいのでしょうか?
外国に守られている国が長持ちなんてできないことを、歴史が証明しているのに。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)